距離感が合わない。

自分がされるのもそうだけど、だれかと他のだれかとの距離感も気になる。ある程度までは許せるけど、これ以上入ってくるなと思うところでとどまってくれる人なら、時間がたつうちにだんだん許せる距離感も近くなってくる。

冷めてるといわれることがあるけれど、感情がないわけじゃなくて、ある程度意識して感情を圧し殺しているだけ。なぜかと言われると理由はよく分からないのだけれど。

育ってきた環境が人となりを決定することは間違いなく、家庭が自分のこれからの生き方もある程度は決めてしまっているのではないかと思っている。ただ、後天的なものが入る余地がないと言っているわけでなく、あくまでも変わろうとすれば少しずつは変わっていけるのだと思う。だけど、そんなに強くはないから大変な思いをして変わることよりも、今まで自分が生きてきた生き方の方が楽だし、そのままでいい。そんな自分が嫌いになったときには努力して自分を変える必要がある。

長い付き合いをしている人、これからしていくであろう人の多さは何で決まっているのだろうか。ほとんどの人が別のコミュニティに属すことになればもう関わらなくてもいいなと思う人ばかりで、それっておかしなことなのか。

楽しいことを忘れてしまった。無邪気に外で走り回って遊んだことを忘れてしまった。あの頃はどんなことを考えていただろうか。なにも考えていなかったからこそ楽しかったのだろうか。そもそも、楽しいと言う気持ちはそれをしているときに生じるものじゃなくて、あとで思い出したときに初めて抱く感情なのではないかと思えてきた。「今楽しいな」ではなく、「今日は楽しかったな」、「あのころはよかったな」といったように必ず過去形で存在するのではないか。

今日はもう疲れた。早く次のステージに進みたい。早く次の環境に身を置きたい。もう十分だ。