歌丸さん

桂歌丸さんが亡くなった。

高校時代、日曜の夜、心を穏やかにしてくれていたのが笑点だった。

大学受験という漠然とした不安を抱えながら精一杯勉強し続けていたあのころ、どんなに忙しくても17時半からはテレビの前に座っていた。

毎度、同じようなやり取りを見ているけど、それがなんだかほっとする。

そんな30分だったと思う。

本当にありがとうございました。

まとまらないけど、今の気持ち。

本籍

仕事において、今後自分は何を目標にしていけばよいのか。

そんな漠然とした悩みを持っていて、部長との面談で思い切ってぶつけてみた。

すると、部長からこんな言葉をもらった。

「自分の本籍を見つけるとよい。そうすれば、もし仕事の内容が自分の希望していないものであっても、自分の視点で物事を判断することができる。そして、成長し続けることができる」と。

ここでいう本籍とは、要するに自分の中での判断基準のようなものなのだろうと思う。

 

長い社会人生活で会社に属する以上は、いつでも自分のやりたいことができるとは限らないのである。

それでも、どんな仕事の中でも成長できるというそんなヒントをもらえた気がする。

 

まだ、自分の本籍は見つけられていないが、これからいろんな経験を積みながら仮籍を転々としながら、自分の本籍を見つけたい。

移動のバスの中で

高速バスの中。

新幹線なら2時間程で到着する道程を8時間以上かけて移動する。

便利な世の中になったものだなと感じる。

ただ、自分は時間が許すのであればバスの方が好きだ。

本を読む時間、なにも考えずに外の景色を眺める時間、今の自分について考える時間、そんな時間を過ごすのにもってこいの機会だと思う。

日々、ばたばたと過ぎ去っていくなかで一時の自分と見つめ合う時間。

今後、リニアの開通など、お金で時間が買える時代になる中でも、大事にしていきたい。

許せないこと

人を否定すること、どうしても許せない

なぜ自分の価値観を人に押し付けるのか

議論がしたいだけならまだ分からなくはないが、自分が絶対だと言わんばかりに主張を押し付けてくる奴はどうしてそんなことをするのか

知りたくもないが

 

この事を強く感じているのは自分だけなのだろうか

否定が当たり前の世の中だとしたら、なんて不幸せな世の中なのだろう

何かあなたに迷惑をかけるようなことをしたか

そうでなければ、干渉してくるな

嫌な気分にしかならない

距離感が合わない。

自分がされるのもそうだけど、だれかと他のだれかとの距離感も気になる。ある程度までは許せるけど、これ以上入ってくるなと思うところでとどまってくれる人なら、時間がたつうちにだんだん許せる距離感も近くなってくる。

冷めてるといわれることがあるけれど、感情がないわけじゃなくて、ある程度意識して感情を圧し殺しているだけ。なぜかと言われると理由はよく分からないのだけれど。

育ってきた環境が人となりを決定することは間違いなく、家庭が自分のこれからの生き方もある程度は決めてしまっているのではないかと思っている。ただ、後天的なものが入る余地がないと言っているわけでなく、あくまでも変わろうとすれば少しずつは変わっていけるのだと思う。だけど、そんなに強くはないから大変な思いをして変わることよりも、今まで自分が生きてきた生き方の方が楽だし、そのままでいい。そんな自分が嫌いになったときには努力して自分を変える必要がある。

長い付き合いをしている人、これからしていくであろう人の多さは何で決まっているのだろうか。ほとんどの人が別のコミュニティに属すことになればもう関わらなくてもいいなと思う人ばかりで、それっておかしなことなのか。

楽しいことを忘れてしまった。無邪気に外で走り回って遊んだことを忘れてしまった。あの頃はどんなことを考えていただろうか。なにも考えていなかったからこそ楽しかったのだろうか。そもそも、楽しいと言う気持ちはそれをしているときに生じるものじゃなくて、あとで思い出したときに初めて抱く感情なのではないかと思えてきた。「今楽しいな」ではなく、「今日は楽しかったな」、「あのころはよかったな」といったように必ず過去形で存在するのではないか。

今日はもう疲れた。早く次のステージに進みたい。早く次の環境に身を置きたい。もう十分だ。